五行山から古都ホイアンへ移動、日本人橋へ

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▲今は、2017年5月26日 午後2時22分。ここは、ベトナム中部の古都ホイアン。当初は観光に訪れた五行山から、そのままダナン市内へ戻る予定だったが、せっかくここまで来たら、ホイアンまで行かないともったいないと思い、やって来た。写真は、ツュンさんのクルマを降りた場所で、トゥボン川沿いの小さなホテル River suites hoi An Hotel の前。午後4時に、ここでふたたび落ち合う事を約束してツュンさんと別れる。

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▲これが、トゥボン川。流れはほとんどないが、そこそこ広い。ホイアンは、南シナ海に注ぐこの川の河口に発展した街。ベトナム戦争で破壊されることもなく、古い街並みが残り、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。

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▲川沿いを中心部へ歩いていると女性に声をかけられた。古い街並みが保存された中心部へ入るには入場券を買う必要があるという。仕方なく、写真のようなチケットを買う。手持ちのベトナムドンが少なかったので、窓口で5000円だけ両替する。

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▲さらに川沿いを東に向かって歩く。目的地は「日本橋(来遠橋)」と呼ばれる屋根付きの石橋。朱印船貿易が盛んだったころには、このあたりにも多くの日本人が住んでいた。これは、日本人街と中華街を結ぶため、日本人が造った橋という。

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▲日本人橋の前までやって来た。手前に別の橋が架かっていて、そこから日本橋を眺める事ができる。手前の橋の中央部は、自撮りの観光客に占拠されているので、少し横から撮影。

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沢木耕太郎の「一号線を北上せよ」に書かれていることだが、「放浪記」で有名な林芙美子の別の小説「浮雲」の中に、登場人物がベトナムにいた頃を回想するシーンがあるそうだ。林芙美子は、第二次世界大戦末期に、陸軍報道部の報道班員として、東南アジアに派遣されている。林芙美子は、その時に、日本橋を訪れているはずだという。

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▲橋の中央には、部屋があり、購入したチケットを使って内部を見学できる。入り口の上に「来遠橋」と書いた額がかけられている。

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▲内部は狭く、大したものは無い。壁には昔の写真が飾られている。

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▲中央には仏壇のようなものが据え付けられていて、壁際には長椅子が置かれている。少し疲れていたので、その椅子に座ってちょっと休む。

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▲仏壇の背後には、このような小さな部屋があった。ここも提灯がぶら下がっているだけの何も無い部屋。

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▲部屋を出て、日本橋側から川を眺める。朱印船貿易が盛んだった400年ほど前の古い橋、しかも日本人が造った橋が現存することに、不思議な感慨をおぼえた。